広島県安芸津の今田酒造本店の4代目、今田美穗さんに会った。「女性大統領」に「女性」がつくように、日本酒の世界で女杜氏は珍しい。継いだ酒蔵は衰退の途にあったが、立て直すために進むべき方向は見えていた。その途上で今田さんは100年前に途絶えた地元の酒米「八反草」の復活に力を注ぎ、その酒米で酒を造った。
「日本酒にはゼロイチの可能性が残っている」広島・今田酒造本店の女性杜氏が挑む自然の豊かさを実感できる酒造り

上のリンクが切れてしまったため、以下に再生。
日本酒は次のフェーズへ(2)
広島県安芸津・今田酒造本店の女性杜氏「日本酒にはゼロイチの可能性が残っている」
日本酒が変わろうとしている。変えようと模索する蔵元が増えている。前回は蔵付き酵母を使って地域性を模索する藤井酒造を紹介した。もう一軒、広島の瀬戸内で日本酒業界に新風を吹き込む蔵元がある。安芸津の今田酒造本店を訪ねた。
「蔵に入ってもいいなら」と帰って来た蔵元の長女
広島駅からJR山陽本線と呉線を乗り継いで1時間半。穏やかな瀬戸内の海に面した安芸津は昔から酒造りの町だ。
日本の三大酒処というのは、兵庫の灘、京都の伏見、広島の西条。安芸津は広島の酒を育てた広島杜氏のふるさとであり、これまでに多くの杜氏と蔵人(酒造りの職人)を輩出してきた。

現在、安芸津に残る2つの蔵元のひとつが今田酒造本店だ。「富久長」の銘柄で知られる。
「ここ100年の日本酒は、米を磨いて磨いて、人がコントロールして、美しい精緻な酒を造ることに邁進してきたと思う」と、4代目の今田美穗さんは言う。
醸造方法や精米機、冷蔵設備、流通経路の進化、新しい酵母の開発。酒を取り巻くさまざまな場面で進歩が見られる。前記事で紹介した精米メーカーサタケの「真吟精米」をいち早く使用したのは今田酒造本店だ。
それで、その先はどうなるのか? と、今田さんは問い、模索を続けている。

今田酒造は1868年(明治元年)に創業。その長女に生まれた美穗さんが、東京から実家に帰ってきたのは1994年。33歳のときだった。もともと家業を継ぐ気などひとつもなかった。しかし時代はバブルの祭りの後、能楽普及の仕事を失った今田さんは、「蔵に入って酒造りができるなら帰りたい」と、当時の社長である父親に伝えた。
「父は賛成も反対もしなかったので帰ってきました」と、今田さんは笑いながら振り返る。今田家には美穗さんの他にもきょうだいがいるが、家業を継ぐという子はいなかった。父は「誰も継がなければおれの代で畳む」と言っていた。廃業が近い将来に迫っていた。
今では「蔵女」(くらじょ)という言葉も聞かれるが、90年代、女性が酒蔵に入るのは極めてレアな、地域によってはまだ女人禁制の時代である。
90年代の日本酒業界は吟醸ブームに沸いていた。それまでの1級2級特級という格付けがなくなり、原料や精米歩合で本醸造、純米、吟醸、大吟醸などに分類された(「特定名称酒」という)。販路の規制緩和も進み、日本酒は量販店でも販売されるようになり、さらには値引きされるようになった。それまで酒は「酒屋で定価」で買うものだった。
うまい酒が造れなければ、うちは10年後にはない
お酒が大好きで東京のお店を飲み歩いていた今田さんは、どんな酒が売れるのか、人気なのか、身を以て知っていた。だが当時、今田酒造本店が造っていたのは「昔ながら」の酒。東京の親戚筋である卸小売店を通して販売していたこともあり、市場のニーズに追いついていないことは明白だった。
「吟醸酒に特化したい」。実家に戻るなり、美穗さんは父に言った。
「父も吟醸を造りたいと思っていたようで設備を整えてきていました。ただ、いきなり東京で流行っているような吟醸酒を造れといっても、ずっとウチの酒を造ってきてくれた杜氏さんには伝わらない。その父と杜氏のギャップに、ポーンと私が帰ってきた感じです。杜氏さんに無理させてリアリティのない吟醸を造らせるより、私が自分で造れるようになろうと思いました。東京のはせがわ酒店さんとか、有名なお店に置いてもらえるような、うまい吟醸酒を造ろうと」
今田さんは日本各地の蔵元を見学してまわり、国の機関である酒類総合研究所で研修を積んだ。
蔵に入ると、すぐに改革に乗り出した。吟醸酒や純米酒などの特定名称酒はすべて搾ったらすぐに瓶詰めし、冷蔵庫で保管することにした。火入れは瓶詰め後に1回だけ行う。「これなら特別な設備を導入しなくても、お酒の劣化を抑えつつ、生酒の良さも残る」と。
まったく新しい手順に蔵人たちは反発。「濾過して2回の火入れをしたほうが安全」「保管中に瓶のキャップが錆びたりしないか」等々。
今田さんが、蔵人たちの反対を押してまで瓶貯蔵を主張したのは、従来通りの酒づくりをしていたら、遅かれ早かれ、蔵がつぶれることがわかっていたからだ。「10年後にはないと思っていました。やるしかなかったのです」
広島生まれの酒米「八反草」を復活させたわけ
酒造りを始めて長い間、なかなか思ったようなうまい酒が造れなかったそうだ。自分には酒造りのセンスがないのかとジリジリしながら試行錯誤を続けてきた。
そんな中、1999年、広島県発祥の酒米「八反草」(はったんそう)」の種もみ(種子)が手に入った。八反草は現在、広島に普及している酒米「八反錦」のルーツにあたる。
「これで造った酒はどんな味がするのかな」
130年前に栽培が途切れ、「幻の米」といわれていた八反草の栽培に、今田さんは取りかかった。栽培してくれる農家を見つけるのに2年がかかった。なにせ幻の米である。しかも酒米は稲の背丈が高くて倒れやすい。そんな手のかかる米を作りたがる農家はいない。

酒米は食用米と比べて、でんぷん質が多く、たんぱく質は少ない。全国的に有名なのは兵庫県の山田錦や、新潟県の五百万石など。90年代の吟醸ブームは、有名なブランド米を使うことが酒のステイタスにもなった。
日本酒の原料は米と水。地元で130年ぶりに復活させた「八反草」を使った酒なら、都市部の酒屋にもアピールできるという考えも、もちろんあった。が、それだけではなかった。
「人の手が入る前の、土着の米を使ってみたい」という思いがあった。
自然の豊穣さを実感できる酒造りをめざして
今田さんには、酒造りの職人たちに対するほのかな憧れがあった。子どもの頃、安芸津にはたくさんの蔵人や杜氏が住んでいたし、今田さん自身、住み込みの職人たちと食住をともにしながら育った。
「おやっつあんたち(職人たちをこう呼んでいる)は、何でも自分で作れるんですよ。田んぼ作りから始めて、用水路を作って、米を作る。野菜も作る。蔵も建てるし、道具は木を切って来て作る。箒はホウキグサを取ってきて作る。自分の経験と知恵と、身のまわりにある物で何でも作れる。
だから、気温が1℃違えば木の生長がどう違うとか、葉っぱがどれくらい芽吹くとか、田んぼの様子がどうなるとか、そういうことを感覚的に知っている。そういう人たちだから、機械がない時代でも、コンマイチの違いで蒸し米の時間や温度を変えたり、麹の調整ができたんです。それがカッコよかったんですよね」
今田さんが30代になって蔵元に帰った原点には、こうした何でもゼロから作れるカッコいい職人たちへの憧れがあった。
ひるがえって現在。米は農家が作る。醸造設備は機械メーカーが設置する。麹や酵母は買ってくる。
「もちろん技術も設備も大事ですが、もっと地に根づいた自然の力にフォーカスした酒造りをしたいと思うようになりました」
八反草の栽培は、タンク1本分の酒を仕込める米を収穫するのに6年がかかった。幸い、八反草で造った酒の評判はよく、需要も増えているため、栽培面積を増やしている。そして、これからは減農薬や減肥料にも挑戦するという。
「自分の体や創業以来の蔵も大きな意味で自然の一部。自然の豊穣さを実感しながらモノづくりをしたほうが、思いがけないものに出合えると思う。将来は八反草がもともと育っていたような環境にもどしてやりたいと考えています」
100年以上前に一度途絶えた米を、今ある技術と設備で醸造したらどんなものができるのか。そこに日本酒のまだ見ぬ可能性があると言う。
「酒は言ってみれば微生物が醸しているわけです。機械や技術でコントロールできるようになってきたけれど、まだ知られていない自然界の作用があると思う。それが何かはわからないけれども、そこから新しい酒が生まれる可能性があると思います」
最新の設備や技術を駆使すれば、優れたものができる。それはシミュレーションできるし、予想した通りの味になるはず。自然の力を借りることで、それとは違う方向の味が引き出せる。ゼロイチの可能性が日本酒には残っていると今田さんは考えている。

今田酒造本店には昨年、ふたりの若い職人が入社してきた。
「彼らが一人前になったとき、活躍できる場所を残しておかないといけない。昔のおやじさんたちの技を、ぜんぶは継承できなくても、その器を残しておく必要があると感じています」


広島県瀬戸内の藤井酒造の6代目、藤井義大さんと、今田酒造本店の4代目、今田美穗さん。ふたりに共通していたことあがる。日本酒はもっと自由になれること、新しい味が生まれる可能性を信じていることだ。
日本酒業界は成熟している。しかしビール界にクラフトビールという新たな分野が開けたように、日本酒にも新しい軸が生まれるかもしれない。
大地が育んだ米と水を使い、麹がそれを甘くして酵母が醸す。そこに人の手が入らなければ酒にはならない。自然と風土と人の知恵とすべてが結集して初めてできる日本酒。その技と蔵と職人を残していくために何ができるのか。チャレンジングな試みが続いている。
●今田酒造本店 広島県東広島市安芸津町三津3734 https://fukucho.jp
取材・文/佐藤恵菜
コメントを残す
コメントを投稿するにはログインしてください。